豊川01
    片身のスズキ  その1

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 昔々のこと、吉田の里に五郎という漁師が住んでおった。

 今日も五郎はいつものように豊川(とよがわ)を上(かみ)へと舟を漕(こ)ぎ、自分の漁場(りょうば)へと漁(りょう)に出た。

 ところがこの日は、どういうものか小魚一匹釣れなかった。 次の日も、また次の日も漁はなく、骨折り損のくたびれもうけだった。 それでも、五郎は毎日かかさず豊川に漁に出かけて行った。

 五郎は、豊川のほとりで生まれ、豊川の水で産湯(うぶゆ)をつかり、豊川を遊び場として育ち、幼い時から漁師(りょうし)の父(とう)ちゃんの後をついてまわり、見よう見まねで魚釣りをおぼえ、いつの間にか五郎も漁師になっていた。

 漁師といえば、五郎の親父(おやじ)は、豊川の漁師仲間から「釣り名人の三吉さぁ」と呼ばれ、一目(いちもく)置かれていたが、ある年の冬、風邪をこじらせて五十半(なかば)で死んでしまった。

 親父は、いつも漁場に着くと、まず家族の安全と豊漁(ほうりょう)を願い、おてんとうさまに手を合わせるのが一日の始まりだった。

豊川02
 五郎が死んだ親父から教えられたのは、

 「俺んとう漁師ゃな、おてんとうさまのお恵みをいただいて生きとるんじゃ。ほんだで、漁に出たら、まずありがてえおてんとうさまに手え合わせてな、今日も魚が採れますようにとお祈りするんじゃよ。忘れんなよ。」

 「二つ目はな、豊川の漁師は、豊川のお陰で生業(なりわい=生活)を立てとるんじゃ。そんだで、俺んとうにとっては豊川さまさまじゃ。豊川に感謝しろよ。」

 「三つ目はだな、魚たちを大事にすることじゃ。豊漁だといって決して採りすぎるな。今日一日のおまんまが食えりゃあそれでいい。それ以上は絶対に採っちゃぁなんねえだ。漁師ゃ、漁場(りょうば)と魚は大事にせにゃぁあかん。ありがてえ魚たちだでよ。」

 これが親父の口癖であり、五郎が親父から教えられたのはこの三つだけだった。

 しかし、蛙(かえる)の子は蛙で、親父のやることを見よう見まねでやっているうち、五郎もいつしか漁師仲間から「釣り名人の五郎サ」と言われるまでになっていた。
 そんな五郎にも、このようなことは初めてだった。 豊川を漁場としている漁師たちも、なぜか小魚一匹釣れない日が何日も続き、何が何だかさっぱり分からず頭を抱えていた。

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